2011年1月31日月曜日

Column:携帯会社の『哲学』からサービスを選択するという考え方

 その昔、通信自由化の流れのなかで国際メガキャリアが一斉に国内参入してきた時があった。

 NTTにIRU (Indefeasible Right of Use:回線長期使用権)という裸の状態で回線を開放させ、それをバックボーンにクリームスキミングという需要の大きいエリアだけにアクセス回線を敷設していく手法で、顧客を獲得していった。

 もとより通信サービスには、家電や食品などの商品と異なり、誰でも広くあまねくサービスを享受できるユニバーサルサービスという義務が通信キャリアに課されている。

 しかし、先に述べたような新規参入キャリアには、そうした制約は課されることなく、一時期市場を闊歩したのだった。

 翻って、携帯電話サービスはどうだろうか。少なくとも3Gサービスまでは、各社の哲学の違いはあるにせよ、それなりにユニバーサルサービスの実現に努めてきたように見受けられる。

 しかし、当然のことながら収益力、契約者数、キャッシュ能力などはそれぞれの携帯会社で差がある。ある会社は、堅牢なそれこそ震度7でも倒れない基地局を建てれば、別の携帯会社は建築基準法ギリギリの鉄骨で、災害のたびに基地局が倒壊するものの、その低コスト化によって安価な通信料金を実現しているところもある。

 また、ある携帯会社は、鉄塔を建てなくはならないが最適な建築場所までの道がないので、まずはそこから整備する。すると、数ヶ月遅れで他の携帯会社が、舗装されている道を通って、先に建てた鉄塔の横に基地局を建てるといったことも起きている。

 通信サービスには、契約した時の回線速度や容量を予め保証しサービスを提供する「ギャランティ型」と、その時々の回線状況によって通信速度などが変化する代わりに安価な通信料金でサービスを受けられる「ベストエフォート型」の大きく2つの考え方がある。

 どれがいいとか優れているといったことはなく、それぞれの携帯会社がどちらの哲学を選択してサービスを提供するのかというだけの問題である。但し、いずれの場合も行き過ぎてしまうと、利用者にとっては使いずらいサービスになることは目に見えている。

 携帯会社の哲学と言う観点から、サービスを選択するというのも一考の余地があるように思えるのだが、いかがだろうか?